離婚とその後の生活:母としての挑戦と成長

離婚とその後の生活

私は子どもたちが小さい頃に離婚を経験した。原因は様々あるが、一番の理由は嫁姑問題であった。離婚カップルにありがちな元夫への恨みはそれほど感じていない。しかし、いくら実家が頼りになったとはいえ、女手ひとつで三人の子どもを育てるのは一言で言えば非常にきつかった。

離婚には双方の責任があり、子どもたちはその犠牲者であると考えている。それでも、私がむかつく女だったとしても、可愛い我が子を手放すなんてひどい人間だと、思い出して泣くことがしばしばあった。

苦しい生活

離婚後の生活は順風満帆とは言えず、非常に苦しいものであった。母子家庭で3人の子を育ているので当然に貧しく、家計はきつきつ。いつも実家から缶詰をもらっていた。家でご飯を炊くときには水を多めにしてかさ増しし、子連れで食料品を買いに行くときはお菓子コーナーを避けるよう全神経を集中させていた。ある意味、すばらしい技法で避けることができるようになったものである(笑)

貧しさよりもつらかったもの

貧しさには耐えられたとしても、子どもたちが病気になるとその負担は非常に大きく、特に上の子は体が弱かったので、睡眠時間が2時間しか取れない日が1週間続くこともあった。睡眠不足でも、実家に子を預け仕事を片付けに行き、時間休をもらって、病院へ連れていく。病院から帰ると家事育児、看病。またほとんど寝ずに翌日を迎える。というような生活は珍しくなかった。だから、子どもたちが健康でよく眠ってくれているときは、「非常にありがたい」と空へ手を合わせたくなるような期間だった。

どれほどお金に困っていても子供たちが健康であれば、私の心と体も健全でいられる。健康であれば、貧乏なんてつらくないし、ずっと続いてもなんてことない、と思っていた。

母子家庭としての困難

母子家庭ということで、大人の男性の影がないため、様々なトラブルにも見舞われた。子ども同士のいざこざで文句を言われることや、停めている車に傷をつけられても弁償されないなど、困難な状況に直面した。母子家庭は軽く見られがちであることを痛感した。

もちろん、私は完璧な母親ではなく、仕事と育児で毎日忙殺されていた。子どもたちにガミガミと叱ることは日常で、彼らと向き合う時間も少なく、子育てを作業のようにこなしていた。

自分自身を褒められること

それでも、子どもたちを成人させることができた私は、自己肯定感は低いものの、唯一自分を褒めたいことがある。それは、元夫の悪口を子どもたちに絶対に言わなかったことである。これは本当に自分を褒めたいと感じる点である。

元夫の悪口を言わなかった一番の理由は、子どもたちの体に流れる血の半分は元夫と同じだからである。元夫を否定することは子どもたちを否定することになると思っていた。これは教育的な観点からというよりも、事実としてそうだと思っている。また、他人の悪口を言われて育つ子供の苦しみを一番経験している私だから、自分の子を私のような思いをさせたくない、という気持ちも大きかった。

これからの目標

自分の育ったようなぎすぎすと緊張感のある家庭ではなく、できるだけふんわりと包むような温かい、肩の力がすーっと抜ける、安心してなんでも言える雰囲気の家庭を作りたかった。それは実現できたかどうかというと点数で言えば50点くらいなのかもしれないけど、私のこどもの頃のような家庭にはなっていないはずなので、そういう意味では反面教師として両親には感謝せねばなるまい(笑)。

前向きな生き方

これからも様々なことを振り返りながら日々の生活の中で小さな喜びを見つけ、自分自身を褒めることを続けていきたい。たとえ小さな事柄であっても、それを認めることが大切だと感じている。過去の苦労や経験を乗り越えた自分を肯定し、未来に向かって歩んでいきたい。

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