
私は私自身のことが大嫌いだった。私は迷惑な人間であり、嘘つきであり、出来損ないである。と、40歳過ぎまで、そう思って生きてきた。
思い出したくない思い出
幼少期の私の記憶は、思い出したくないことばかりである。以下は、私の暗い過去のほんの1ページである。
母親は姑や義兄弟、私の友人の悪口を日常的に口にし、父親もまた近所の人々を「ばかだ」と常々言っていた。そんな環境の中で、私は自己主張を許されずに育った。
自己主張はわがままだとされ、親戚や地域の集まりでも私は絶対的な沈黙を強いられた。自己主張する子供は大人をばかにしている、だから絶対に許さないという考えが私の家庭には根強くあったのである。そんな環境で育った私は、いとこたちが大人と対等におしゃべりをしているのがとても羨ましかった。少しでも真似をしようものなら、すぐに叱られ、時には殴られることもあった。
親戚からは「こどもらしくない子」と言われ、そのような評価を受ける私に対して、母は「ばかだ」と嘲笑した。このような環境の中で育った私は、自己肯定感の低い人間となってしまった。
(これまで私が心を許した友人たちに、このようなひどい体験をした人はいない。だから今日まで私はカウンセラーにさえ、詳細を伝えることができずにいる。だれかにわかってほしいと思っていても、びっくりされるのは辛すぎるから。)
救い
しかし、昨日のブログで書いたように、私は良い友人や先輩との出会いを通じて、自分の感情を出して生活しても良いことに気づいた。優しい先輩が多くのことを褒めてくれた40歳ごろの出来事が、私の認知を大きく変えるきっかけとなった。自分の考えや感じ方が必ずしも間違っていないということを理解し始めたのだ。
この気づきは、私にとって非常に大きな転機となった。自分の感情や意見を大切にし、表現することができるようになることで、怖かった人間関係が、逆に周囲からかわいがられるようになったように感じた。(あくまで主観ですが)
これからも、自分を大切にし、健全な自己主張を続けていくことで、心の健康を保ち、豊かな人間関係を築いていきたい。過去の経験が私を形成した一部であることは否定できないが、それを乗り越え、自分らしく生きるための道を歩んでいきたい。