様々な理由で不登校やひきこもりになってしまう子どもを救うのは共通して「親子(家族)の信頼関係」だと思う。
まず、学校を信頼できなくなっているので、そこに普通に通えている友人たちと交流しづらくなってしまう。

傷だらけの不登校の子どもにとっては、まっすぐにしかモノを言えない同級生たちは、刃物である。刃物には近づきたくないはずだし、近づけなくてもいい。学校に行けなくなり、生きているだけでもやっとのこどもに傷を増やす必要はない。
それに、友達というのはしょせん他人である。こどもでもあり他人でもあるので、当然ながら他者の困り感を共有してあげることは難しい。相当人間が出来たこどもでもなければ、会わせない方が良い。(人間のできたこどもは、もはやこどもではないのだけど(笑))
こどもに寄り添う人
しかし、本人の困り感に寄り添う人間は必要である。だからそれは親(もしくは家族のだれか)が担えばよい。こどもというのは親の愛を求めているし、親の愛を伝えながら育てていくものだと思う。
最初に親の愛を確認して、次のステップとして他人や世間を信頼しながら成長していく。社会とかかわりを持つことができるようになる、と感じている。
うちの二男は不登校からひきこもりの5年間を経て、21歳から大学へ通い資格を取得し、現在は就労している。
一番の理解者
不登校ひきこもりの5年間は長くつらかったが、苦しんでいる我が子に私がしてあげられたことは、一番の理解者であり続けることであった。
そして、「一番の理解者」そのことを常に伝え続ける努力をした。その安心感を確認できるまでの期間は子どもによってそれぞれ違うと思うが、うちの子の場合は5年間必要だったのだと思う。
これからも
「つらい」と言われたら「そうか、きついね」と返し
「仕事行きたくない」と言われれば「そうか、しょうがないね。」
と、本心から言ってあげられる親でありたい。

