具体的な自己肯定感の高め方と今後の生き方

私は活発で明るい友人のようになりたいと思っていた。なぜ自分だけがこんなに悩んでばかりいるのか、生きていくことが嫌になってしまうことが多かった。そんな自分を変えたい一心で、周りの人々の振る舞いや考え方を真似しようとした。

のびやかに生きている友人や知人のように振る舞うことで、自分も少しは楽になれるのではないかと思った。

例えば、彼らが楽しんでいる趣味に挑戦してみたり、彼らのように笑顔で接することを心がけたりした。しかし、無理に他人のスタイルを真似しようとすると、逆に自分がどんどん小さく感じ、ますます自己嫌悪に陥ってしまった。自分の本来の姿とはかけ離れた行動を取ることで、かえって落ち込み、みじめな気持ちになった。

しかし、ある時、私は自分を無理に変えようとするのではなく、自分自身を受け入れることが大切なのだと思いついた。他人のようになることはできないし、それを目指す必要もない。自分の感情や考え方を否定せず、そのままの自分を認める方がいいのではないかと感じた。

その気づきから、リハビリを開始した。

自己肯定感を高めるための具体的な方法を探り始めた。まずは、自分の長所や得意なことを見つけることから始めた。

また、自己肯定感を高めるためには、自分を否定するような人々とは距離を置き、自分を肯定し支えてくれる友人や家族と過ごす時間を増やすことにした。特に学生時代の私は、思い出したくないことがたくさんあるため、彼女たちが悪いわけではないが、できるだけ学生時代の友人との距離をとることにした。

そして、その時間を自分を振り返る時間に充てることした。

さらに、自己肯定感を高めるためのセルフケアの方法も取り入れた。例えば、定期的に運動をすることで体を動かし、ストレスを発散することが効果的だった。

さらに私は、友人との会話の中で、深刻な思考の癖を抱えていることに気づいた。それに気づいた友人の勧めで過去の経験や感情を整理するために、心理カウンセリングに行ってみた。

私の思考の癖は、楽しい時間を過ごしているとき、その瞬間を十分に楽しむことができないことである。そればかりか、自分だけおいしいものをたべたり、楽しい思いをしていると親やこどもたちに申し訳ないという思いが湧き出てくるのである。

だから私がひとりでもしくは友人と楽しい時間を過ごすことは、罪悪感を感じる時間でもあるのだ。

これらは、典型的な毒親育ちの人間に現れる思考であるらしい。いまでもその癖は治せていない。

しかし、セラピストのサポートを受けることで、過去のトラウマから解放され、前向きに生きる力を得ることができた。

さらに、自分の価値を認めるために、自己啓発の本を読むことも助けになった。多くの著者が共有する知識や経験は、自分自身の成長に大いに役立った。特に、自分を愛し、自由に自分に優しくすることの重要性を学ぶことができた。

今後は、自分の感情や考え方を大切にし、自分らしく生きることを心がけたいと思っている。

50年も頑張って生きてきたのだからと自分自身に言い聞かせながら。

いまの幸せを感じるには他人と比較することなく、自分のペースで成長していくことが大切だ。そして、過去の経験を活かし、同じような境遇にある人たちに希望を届けられるような存在になりたい。

自分を認め、自分を愛すること。それが、自己肯定感を高めるための第一歩である。これからも、自分らしく生きることを大切にしながら、前向きな人生を歩んでいきたいと思う。どんなに辛い過去があっても、自分自身を大切にすることで、新しい未来を切り開いていける。自分の価値を信じて、一歩一歩前に進んでいこう。

親子の信頼関係は様々なトラブルを乗り越えながら構築される

不登校の二男に対し、長男は学校で友達と喧嘩をしたり成績が悪くて親が呼び出されたりという状況だった。
長男が中学生のとき、いつものように(笑)学校から呼び出しを受けた。友達を殴ってしまったようである。長男は比較的穏やかな子だと思っていたのでにわかには信じられなかったが、とにかくこの場は謝るしかないと思い、担任の先生へ頭を下げてわびた。長男も謝っていた。


帰りの車で長男にことの詳細を聞くと、授業中に向こうが先に長男にちょっかいを出してきたのだけど、長男は我慢して何度かやりすごしていた。それでも執拗にちょっかいを出されたから、たまらなくなって叩き返したということであった。長男は体が大きいので、相手に強く当たってしまったようで、向こうが泣き出してしまった。そこを担任の先生に見つかり長男が叱られるという事態になってしまったようである。
正当防衛と言える。担任の先生は喧嘩の詳細を聞き取ることも出来ないくらい忙しかったのかとちょっとむかついた。

しかしそんなことより、この状況で長男に必要なのは「心から信頼できる大人」になってあげることだと思ったので、「そうか、何度か我慢したけど、相手がやめなかったのではたいてしまったんだね。他に方法がなかったのかわからないけど、あなたは体が大きいから強くあたってしまうところは気を付けようね」というと「うん」と小さく答えてくれた。


学校は(私から見れば些細なことで)よく親を呼び出してくれた。
成績が悪い、授業中に携帯がなった、怖い動画を見せられたと女の子が怖がっているなど・・・。
何度も呼び出され、何度も頭を下げ謝罪した。長男はそのたびに帰りの車で謝ってくれたが、別にたいした悪いことでもないのに呼び出す学校がおかしいと私は思っていた。しかし長男にそう言ってしまっては、長男の学校への信頼感がなくなり、1つの心のよりどころを失ってしまう。だから長男が謝ってきたときは、「次から気を付ければいい」とだけ言って、すぐに話を切り替えた。こんなことの繰り返しのおかげで、長男から私への信頼度は絶大になり、困ったことは何でも相談するようになった。


あるとき、中学校になったばかりの二男が夜中にワーワー泣き出した。「どうしたどうした?」と家族みんなで、二男のところに集まり、理由を尋ねるが、話したくないと泣いてばかりいる。そこで長男が「お母さんは絶対に信頼できるから大丈夫!なんでも話してごらん、何を言っても絶対味方してくれる。大丈夫だから」と言ってくれた。
そこで、二男は教科書を無くして、先生からひどく怒られたこと、探しても見つからない、見つからなければ授業を受けさせないなど言われたとのことで、私に言えば先生と同じように自分を叱るのではないかと警戒していたようである。


「大丈夫だから寝て」とみんなで言い聞かせて寝かせた。翌日すぐ近所に教科書買いに行った。もちろん二男はほっとした様子だった。

そのときまでは、そんな小さなことで𠮟責するような母親だと思われていたようだ。。。

でもこのことをきっかけに、その後からは、心配事はなんでも相談してくれるようになった。めんどくさいほど(笑)

親はどんな態度をするんだろう?大丈夫なのか?許してくれるのか?と・・・子どもはいつでもどんなときでも常に親から自分への信頼度を図っているんだなぁ・・・大変だなぁこどもって。とつくづく感じた。