
私は幼少期から、常に他人の悪口を耳にして育ってきた。両親は近所の人々や親戚、学校の先生など、あらゆる人についての批判を私に話し続けていた。その影響は、今の私の人格や心の健康に深く影を落としている。
他人の悪口が日常だった家庭
我が家では、食卓でも、リビングでも、車の中でも、悪口が飛び交っていた。誰かの失敗や欠点をあげつらうことが、家族のコミュニケーションの一環となっていたのである。私は、無意識のうちに「他人を信頼することは危険である」というメッセージを受け取っていた。
私の家庭が異常だと気づかされたのは、別れた夫からの言葉である。「お前の実家では、必ず『〇〇が悪い』と家族の中の犯人を決めるのが日常だよな」と言われたことからである。
たしかに、「ここにおいたみかんが減っているのは、誰のせい?あなたが3個食べたから、あなたのせい」など、些細などうでもいいことでも犯人を決めるのが日常であった。
他人を批判する習慣がもたらした影響
このような環境で育った結果、私は人間関係において常に警戒心を抱くようになった。誰かが親切にしてくれても、その裏には何か悪意が隠れているのではないかと疑うようになった。それはいいとしても今思えば一番苦しかったことは、自分自身に対しても過度に厳しくなり、自分を責めてばかりいたことである。失敗や欠点があれば、それがすべて私の人格の欠陥であると感じてしまい、最低な人間とさえ思っていたのである。
自己価値の低下
他人を批判する声を聞き続けることで、私の自己価値感は低下していた。自分が他人からどう見られているのかを常に気にし、誰かが自分を批判しているのではないかと不安に思うようになった。自分に自信が持てず、自らを卑下するだけの幼少期~青年期であったように思う。
認知の変化
私の認知がおかしいと気づかされたのは、優しい先輩に多くのことを褒められた40歳ごろのことであった。その先輩のおかげで、自分の感じていることや思っていることが必ずしも間違っているわけではないと理解するようになった。
癒しのプロセス
このような心の傷を癒すために、私はいくつかのステップを踏んできた。まず、自分の感情や思考を見つめ直し、なぜそう感じるのかを理解することから始めた。これは簡単な作業ではなかったが、自己理解が進むにつれて、自分の中にある否定的な感情を整理することができるようになった。
次に、信頼できる友人やカウンセラーの助けを借りて、自分の感じていることを話すようにした。話すことは、心の中に溜まった感情を解放する手段となり、また、他人の視点を通じて自分の問題を客観的に見ることができた。
新しいコミュニケーションの方法を学ぶ
他人の悪口を聞かされて育った私は、批判的なコミュニケーションスタイルを無意識に身につけていた。しかし、それが自分にも他人にも良い影響を与えないことに気づき、感謝の気持ちやポジティブなフィードバックを伝えることが、自分自身の心の健康にもつながると実感した。
自己肯定感を育む
自己肯定感を育むためには、自分の良い点を認識し、それを肯定することが重要である。幸いにも、私に寄り添っていつでも褒めてくれる先輩や友人を得たことが大きかった。
普通に日常生活を送る私に「えらい、それで十分だよ」とたびたび言ってくれる友人のおかげで、自己肯定感を少しずつ向上させることができた。自己肯定感が高まることで、他人の意見に振り回されることも少なくなり、自分自身の価値を信じられるようになった。
最後に
他人の悪口を聞かされて育った私の心の傷は深く、完全に癒えることは難しいかもしれない。しかし、自己理解と自己肯定感を育むことで、その影響を少しずつ克服していくことができた。今では、他人との関係においても前向きなコミュニケーションを心がけ、自分自身を大切にすることを忘れないようにしている。
もし同じような経験を持つ方がいれば、ぜひ自分の心の声に耳を傾け、できるだけよき友人を得ることで、自己肯定感を取り戻すための一歩を踏み出してほしいと思う。